· 

サードプレイスへの夢

イベントを終えて思ったことを。

 

先日のイベントは大成功で

楽しんでくれた人の顔を見ているだけで

私も幸せでした。

 

またやりたいです。

 

*****************

 

イベント中驚いたことがありました。

 

思った以上に

子どもが暴走していないこと。

 

あれだけ自由で、やりたい放題で

大騒ぎできる環境を与えたら

大変なことになるだろうか?と

内心、不安に思っていたのです。

 

でもね。

みんな節度を持って遊んでいました。

 

子どもが調子に乗って

親が「やめなさい!」とか

怒鳴ったりする姿を

子連れで出かけると

よく目にしたんですが

 

一回も、見ませんでした。

泣いている子もいませんでした。

 

「やめなさい!」を言わずにすむ

 

やりたい放題の空間を

目指したこともあるけど

 

子どもが自由に遊んでいるのをいいことに

大人はぼんやりスマホ見るとか

そんなのもなかったんです。

 

大人も一緒になって

子どもと遊んでいたんです。

 

 

 

一番驚いたのは

16時、終了時間のことでした。

 

終わりですよ~

片付けますよ~~

 

そうやって声を掛けても

子どもたちは

「やだ!もっと遊ぶ!」

そう言って片づけないだろうなと。

  

でも

「4時になりました~!

イベント終了の時間です~!」

 

Bocco隊の一人が

大きな声で叫んだ瞬間

 

大盛り上がりだった会場が

ぴたりと静かになりました。

 

 

そして当たり前のように

子どもたちは近くにある道具を集めて

一緒に片付けを始めたのです。

 

 

イベントに出ていた私の友人が

SNS上で書いていました。

 

 

 

「あんなにたくさんの人数がいたのに

全然手がかかんないじゃん。

 

押さえつけないから。

決めつけないから。

 

無理に型に押し込めないから。」

 

 

 

…ああ、そうか。と。

 

子どもが言うこと聞かなくて暴れるのは

 

子どもなりの主張で

 

暴れないということは

満たされているということ。

 

 

現代はさ、大人も

「生きづらい」ってよく言うよね。

 

母だからしんどい

社会人しんどい

学生しんどい

女はしんどい

男はしんどい

 

いろんな立場の大人たちが

自分たちの言葉で

自分たちの環境の生きづらさを主張する。

 

子どもはその言葉を

まだ持っていない。

 

だから態度で示してるんだ。

 

子どもがクラスから飛び出したから

学級崩壊じゃないんだ。

 

飛び出した子は

崩壊しそうなクラスから

逃げ出そうとしてる

それだけなのかもしれない。

 

子どもが暴走するのは

締め付けるからだ。

 

 

子どもがやりたいことを無視して

 

「カリキュラム」で

 

すべてを決めようとするからだ。

 

 

 

 

『大人の言うことを聞く子』

『マニュアル通りのいい子』

 

そうならない子は、悪い子

 

小学校がそういう世界になっている。

 

それに反発できる子が

自分の意思を主張しだした結果が

学級崩壊なんじゃないのか。

 

 

飛び出した子を

 

なじめない子を

 

問題扱いして

 

 

「情緒障害」として

特別支援級に分けて

 

それで解決させようとしてるから

特別支援級に行く子が

どんどん増えているような

気がしてなりません。

 

なじめない子を

隔離するんじゃなくて

 

今の教室が、過ごしづらい

空間になっていることが

問題なんじゃないのかな。

 

 

***************************

 

 

今回のイベント

まったくテーマもなく

ただ段ボール敷くだけでは

子どもたちも

どう動いていいか

わからないかな?と

 

「ひとがた」何人できるかな?という

テーマを設定したわけですが

杞憂でした。

 

多分、そんなテーマなくても

子どもたちは楽めたろうな。

 

大人が何か与えてあげようと思わなくても

子どもは自由な創造力から

勝手に何かを作り出す。

 

むしろ大人より

ずっと面白いことを見つけ出す。

 

 

この創造力を摘み取ったらだめだ。

この男の子が作った

二つの工作。

 

この写真を見て

大抵の大人は「ケーキがすごい」って

思うはず。

 

でもね。

本人はこの

「ぼっこ」の方が

お気に入りの作品なんですって。

 

すべてのポケモンの力が

込められた

すっごい

「ぼっこ」なんですって。

 

ぼっこの可能性はやはり無限!

 

この作品に

私は子どもの創造性の

すべてがこめられてると

思っています。

 

大人にはわからない

子どもだけの価値観があるし

 

大人の価値観で

子どもが頑張ったものを

否定するのはおかしいと思ってる。

 

上の作品

冬休みの工作で提出したら

 

きっとケーキの評価は高いだろう。

 

ぼっこの方は

「何やってんだ」って

言われるだろう。

 

本当にその価値観、正しいのかな?

 

 

決められた時間内で

決められたテーマに沿ったものを

時間が足りずに完成じゃなくても

無理やり完成扱いにして

 

 

それを評価する。

 

それでいいのかな?

 

 

 

 

学級崩壊も

不登校も

 

価値観を「管理」されすぎている

子どもたちからの

言葉にならない

メッセージでは?

 

子どもたちには

もっと自由が必要だ。

 

自由の中から自発性が生まれて

 

自発性の中から

学びが生まれる。

 

楽しく自由な遊び場で

 

子どもたちは多くを

学ぶと思っています。

 

すべてをがちがちに

 

大人が思う「よいこと」で

固められた小さな教室で

 

成長真っただ中の

子どもたちは

いったいどれだけのことを

学べるのだろう?

 

私は、もっと

楽しく自由に

子どもが自分から学べる機会を

作りたいです。

 

大人が押し付けることじゃない。

 

もう私は十分すぎるほど

大人になったから

 

これからの子どもたちに

もっと自由を。

 

 

教師をしている人と話すと

色んなしがらみや葛藤を聞く。

 

何年もかけて固まったものは

変わるのにも時間がかかる。

 

ならば

 

せめて学校の外側に

家と学校以外の

サードプレイスを。

 

 

子どもの野生を開放できるような

安全基地を。

 

 

 

それって楽しそうでしょ?

 

 

やろうよ。

 

でも、私ひとりじゃできないことです。

 

小さくとも活動を重ねて

 

少しずつこの声に

共感してくれる方が増えて

 

地域で子どもたちの場所を

作り上げることが

できますように。