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子どもであることの自然

先日、浅井智子さんの

講演会を聞いてきました。

 

みなさまご存じでしょうか

「もりのようちえん」。

 

すいません!実は私

知りませんでしたー!

 

何となく面白そー、

とりあえず無料だし行ってみるか~

 

ぐらいの気持ちで参加しましたが

なんと素敵な活動でしょうか。

 

「お母ちゃん革命」

買っちゃいましたよ。

サインもしてもらっちゃいましたよ。

 

 

素敵な本です。

首がもげそうなほど

頷きながら読んでる。

 

 

※Amazonで販売中(。-∀-)

 

画像をクリックで飛べるはず…

私が子育てを初めて、今年で6年目。

 

途中色んな事がありまして

子育てへの視点が180°ひっくり返り

 

仕事を辞めて時間が出来たのをいいことに

 

学んだり、いろんな方と出会ったり

色んな体験をしたり

そうやって世界を広げていくと

 

現代の子育て環境ってほんとうに

「こどもが育っているの?」って

疑問符しか浮かんでこないんです。

 

 

ただ子どもたちを

「大人にとってその時

都合の良いいきもの」

にしているだけのような。

 

その場しのぎに

そうしているとしても

子どもたちはそのまま育つ。 

 

 

子どもたちが育って

大人になってから

「近頃の若者は自分で考えない」とか

「コミュニケーション能力がない」とか

 

そんなん、さんざん子どもを

「自分で考えさせない」

「対話の場がない」世界で

過ごさせてきた大人が言うんですから

 

矛盾ですよね。

 

自分が子どものころって

もっと自由でやんちゃで

好き放題やってたし

 

その時の記憶や思い出が

今に活きてると思ってるし

 

その世界を大人が管理していたら

それは成立しなかったろうと思ってる。

 

みんな、子どものころの

思い出ってあるでしょう?

 

その思い出が

大人に管理された

世界だったことはあった?

 

「秘密基地」を

作ったとき

そこに大人はいなかったよ。

 

段ボールで剣や盾を作って

公園で冒険ごっこをしたとき

そこに大人はいなかったよ。

 

(女ですが男のような

遊びばかりしていた私です)

 

子ども同士のコミュニティ。

子ども同士で考えて動いて

子どもだけで答えを出す。

 

いつでも大人が近くに寄り添って

「こうしなさい」

「そんなことしちゃだめ」

なんて言うことなかったよ。

 

もし、大人にすべて決められていたら

今私の心に残っている思い出は

そんなにワクワクするものじゃ

なかったと思うんだ。

 

みんなもそうじゃないのかな。

 

 

秘密基地にもしお母さんが来たら

嬉しくなかったと思うし

 

お母さんに教わるより

近所のお兄ちゃんに教わるほうが

ずっとやりたい気持ちになれた。

 

 

でも、今は

「母親や大人が

子どもを"見守る"のが当たり前」

 

 

 

ねえ、それは本当に

 

 

「見守り」なの?

 

 

実はそれ、

 

 

「束縛」じゃない?

 

 

 

好きに遊ばせれば

 

 

”放置は虐待!”

 

 

放置と違うわ!

 

放任だわ!!

 

 

自分のことに自分で責任を持つ力。

 

管理されてる中で

そんな力育つわけがない。

 

 

でも、それをやりづらい現代。

 

だから母親やってて苦しくなるときがある。

 

 

 

このBocco.の活動を始めたのも

そういう想いから。

 

ぼっこ一本を誰が持つかで遊びは変わり

どんなぼっこを選ぶかで

その日のリーダーが変わり

 

何が出来るか

子ども同士で考えて

工夫して、遊んで

 

失敗したって

みんなで笑う。

 

「大人に決められた日々」じゃない

「毎日何が起こるかわかんない」

 

そういう日々が

子どもには必要なんだ。

 

講演会の最後

 

「もりのようちえん」で

過ごしている子どもたちの顔

スライドショーで見たのですが

 

全力で”こども”をやっている

そんな空気が伝わってきて

 

悲しいのとも

嬉しいのとも

寂しいのとも

 

どれとも言えない気持ちが

胸にあふれだしてきて

 

『そうだ、そうだよ』

 

涙がぽろぽろ流れました。

 

今子どもを育てているのは

そういう子ども時代を

過ごしてきた大人たちのはず。

 

そんな大人たちにも

「何が起こるか決められていない日」が

必要だと思ってる。

 

子どものころのあの感覚

思い出そうよ。

 

 

 

もし、それを思い出せたら

 

子どもに対して

現代の大人たちがやってること

本人たちにとって

どんだけつまらないことか

気付けると思うんだ。

 

私はもう、思い出しちゃったから。

 

子どもに

あれやるな。これやれ。

それがあなたの将来のため。って

行動を、未来を

決めつけるのは、もう苦しい。

 

自分が言われる立場だったら

どんなに嫌だろうって思うから。

 

だからうちの家は

結構落書きだらけです。

 

 

”ダメ”って言った後に

 

”でもやりたいよな~”

”やったら楽しいよな~”

 

”そもそも何でダメなんだっけ”

”自分の持ち家だよ?”

”壁紙とかふすまは張替えもできるよ”

”じゃあいいじゃん”

 

って思って

思い切ってやらせてみたり

 

子どもイキイキしてますよ。

母はニヤニヤして見てますよ。

 

 

(あとで張り替えようと

思ってやらせたけど

あまりに可愛い落書きだから

そのままにしておこうと思ってる) 

 

 

それでいいんじゃないのかね。

 

 

そう思えても、家の外に出たら

母の立場で動くと、この考えが

現代とマッチしない部分に

色んな葛藤があって。

 

 

 

下の子、1年後に年少さん。

釧路初のもりのようちえん

行かせたいな~と思いつつ

家から少し遠めだったり

朝の時間の使い方がどうなるか

読めなかったりで

 

子ども同士の兼ね合いも考えて

決めていきたいと思います。

 

森じゃなくても

出来ることもあると思うし

 

森だから出来ることもある。

 

 

それは、もりのようちえんを

否定することではなくて。

 

むしろ、協働出来たらいいなぁ。

 

 

講演会を聞いた帰り道

たまたまカーステで流れた曲

 

BUMP OF CHICKEN

「グッドラック」

 

くれぐれも気をつけて

出来れば笑っていて


騙されても 疑っても

選んだ事だけは信じて

 

笑われても 迷っても

魂の望む方へ

 

思い出してもそのままで

心を痛めないで

 

君の生きる明日が好き 

そのとき隣にいなくても


言ったでしょう 言えるんだよ

 

いつもひとりじゃなかった

 

 

 

今選んだ生き方は

魂が望んでいる気がしている。

 

何が正しいのか

 

そんなことを考え出したら

答えなんて出ない

 

 

答えなんてなくていい

 

 

浅井智子さん

”ともちゃん”も講演会で言っていたよ。



「正しさより温かさ」 

 

「頭で考えることじゃなくて

心で感じることを大切にしたら

こうなった」

 

って。

 

 

”君の生きる明日が好き

そのとき隣にいなくても”

 

 

 

せめて自分が出会う

すべての子どもたちに

いや、大人たちにも

 

この言葉を言える日が

来ることを願って

 

 

 

 

私は魂が望むほうへ進みたい。

 

  

 

次やりたいこと

いくつかある

 

実現に向けて

 

 

 

さぁ

 

 

 

どう動こうか。