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勇気を寄せ集めて奇跡を起こしたいんだ

前の方のブログで書いておりますが、わたくしBocco.代表は西野亮廣エンタメ研究所のサロン入っております。

こちらのサロン、基本的には西野さんが一日一本投稿する文を読める「だけ」なのですが、それ「だけ」じゃない。

 

読み応えがあるし、ワクワクする内容ばっかりなんです。

 

今はもう12月25日公開の映画「えんとつ町のプペル」に向けて全力で準備を進めている内容がメインなんですけど、それらの記事を読んでいるとまず「絶対この映画は見に行きたい」と思います。

 

そして、それだけじゃなくて「この映画をもっと多くの人に見てもらいたい」と思います。

 

…ただ。

西野さんは「子どもたちにこの映画を届けたい」とよく仰っているのですけども…

 

子どもたちって、映画館では疎まれる存在になりがちなんですよね。

 

以下、今タイムリーな話題なのでTwitterで「鬼滅の刃」「マナー」で検索して上位に出てきたツイートをいくつか貼りながら書いていきます。

 

※ちなみにTwitter引用、私は悪意をもって貼っているわけではないです。

ある立場から見たらの意見は筋が通り、ある立場から見たらこの意見は息苦しい。

ただ息苦しい側の立場が、子持ちであり、今私はそちらに立っている。

 

それだけのことです。


twitter引用


鬼滅はPG12(結構グロかったりするから12歳未満の子はどうかな~ちょっと親が考えてから連れて行ってね)指定の映画なので、そもそも子どもを連れて行くこと自体が批判されそうなところなんですけども。

 

それでも今はもう小学校行けばみんな呼吸の使い手になってたり、水車使ってきたりするし…

昨日は買い物行って紅蓮花がかかりだしたらその場にいた子どもがノリノリで歌い出したり(うちの子どもたちも歌います)するほど、社会現象的に盛り上がってる映画なわけで。

 

見に行きたい子ども、見せてあげたい親。

そして、子どもがいても見に行きたい親

 

…というのがいるのは間違いないわけです。

出来れば、映画館にね。

 

うちもちょっと見に行きたい…

 

けど。

 

こないだTVでやってたの見せたら子どもたちが

 

「ギュウ(義勇)!ギュウ!!ぎゅうきたーーー!(牛かよー!)」

とか

「ねじゅこ!ねじゅこかわいいいい」

 

…って大興奮で叫んでるんです。

 

…家では微笑ましく見守れるけど、劇場でやったら絶対だめなやつ。

 

こういう子どもたちを嫌がる人がいるのは当然間違いなく。

私だって好きな映画は静かに落ち着いて全集中の上見たいですもの。

 

子ども産んでからだいぶ考え方は変わったけど、だからといって子どもを煙たがる人に対して攻撃的な思いを持つわけじゃない。

 

子どもがいる側から「あんたたちだって小さい頃は」だの「子どもなんだから仕方ないじゃない」だの「子どもだって行きたいんだから行かせてあげたい」だの言っても仕方ないんです。

 

言えば言うほど「子連れ様」と揶揄されるわけですし、子どもいないころは私もそう思ってたしなぁなんてほろ苦く思い出すわけです。

 

嫌がる側の気持ちもすごーくわかるからこそ、劇場に軽い気持ちで子どもを連れていけない。

 

 

えんとつ町のプペルの主題歌にこんな一節があります。

 

『「臭い、臭い」と囃されて

君は外に弾かれる

ひとりぼっちのゴミ人間

だけどどうだ?

 

ゴミの身体のその奥には

綺麗なハートがある

汚れを知らない君の目やコトバや背中が

臆病な僕に教えてくれた

本当の強さを』

 

この歌詞のゴミ人間

西野さんは「自分自身」を重ねている部分があるそうですが

 

この、映画館における子どもは、まさにそうで…


Twitter引用


現代、子どもを連れてどこかに行くということは、何かと排除の対象にされます。

 

うるさい。臭い。大人しく出来ない。

 

…そう。

臭い、臭いと囃されて外に弾かれる、汚れを知らない存在。

躾がなっていないとか言われたりしますけど、純粋なだけという部分もあるんですよね…。

 

(そればっかりじゃないけど!そのあたりは割愛します!!)

 

子どもだって映画館で映画観たいんですよ。

観せてあげたいって思うし、親だって子どもと映画館で観たい映画あるんですよ。

 

周りに迷惑になるから行くのをやめる、という理由で、観たいものを諦めないといけないのって切ないなと思うのです。

 

でも、集中して観たい人がいるのもわかる。

子育てしてる立場だからといって子育て側の意見や行動全てに共感できるわけでもなく。

写真撮るとか、椅子を蹴るのはさすがに止めないといけないと思う。


twitter引用


twitter引用


ただ、お喋りについては…

喋りながら見たい層っていうのもいると思っていて…

特に子どもは「今のどういう意味?」とか、些細なことをその時すぐ聞きたかったりする。

 


twitter引用


全て「うるさい」「迷惑」って言われてしまうと、本当に苦しいなぁと思うのです。

家で家族や友達と映画見るときはなんやかんやとしゃべりながら見ますよね。

劇場で、色んな人と家で映画見るみたいな映画があったっていいんじゃない?って私は思っていて。

 

スポーツやライブのライブビューイングなんてまさにそうで、みんな映画館だけど大人しくなんて見ませんよね。映画のライブビューイングがあっても良くないですか?

 

プペルがカワイソウとか、ルビッチがかわいいとか、頑張れーー!とか…

きっと劇場に連れて行ったら子どもは思わずそういう声を出してしまうけど。

 

映画館で映画を見ようとすると、そういう声を出すことが迷惑にされてしまう。

プリキュアとか、アンパンマンとかみたいな映画は子どもが多いから許されるし、応援公開とかも設定されたりするけれど。

 

大人も観たい映画になってくると…お喋りしたい子どもは迷惑な存在になります。

 

でもね。

そういう子どもたちを連れた人や、おしゃべりを迷惑に感じない人だけがそのときの上映にいるなら…

どうでしょう?

 

私は先日のテレビ放送での鬼滅の刃、子どもたちが「ぎゅうぎゅう」叫んでたり「ねじゅこ~」って言ってるのは微笑ましく感じました。

子育てしてる人ならここは共感できる人も多いと思う。

 

 

 

 

ちいさな子どもでも見られるように、劇場の照明も少しだけ明るくして。

ちいさな子どもが驚かないように、音響は少しだけ小さくして。

 

他の人が映画の音声聞こえなくなるほどの大騒ぎはもちろん止めないといけないけれど、ちょっとクスクス笑ったり、ちょっとびっくりしたり興奮したりして叫んでもお互いを微笑ましく見守れるような映画館があってもいい。

 

見たくて見たくて来たのに「おとなしく見られないなら強制退席」なんて悲しい。

 

 

 

大人しく出来る子どもばかりじゃない。

 

大人しく出来ない子どもは、映画を映画館で見られないの?

 

…大人しいという言葉の語源は「大人らしい」。

 

 

子どもが見たい映画を、大人らしく見ないといけない矛盾。

 

子どもに見て欲しいと願って作られた映画を、大人らしく見ないといけない矛盾。

 

えんとつ町のプペルは、原作が絵本です。

絵本だけれど、大人のファンがたくさんいます。

 

西野さんのサロンの7万人のメンバーは大人です。

あそこに子どもはいません(少年少女の心を持った素敵な大人は沢山居ます)

 

大人なら、大抵は落ち着いて映画を見たいと思うと思います。

大好きな映画なら。思い入れのある映画ならなおの事。

 

『落ち着いて映画を見たい層』がいる限り、静かに映画を見られない子どもは外に弾かれる存在になります。

それがいけないとか、ひどいとか言いたいんじゃない。

 

ただ、それが現実である、ということ。

 

 

Bocco.の設立のきっかけは、発達障害がある子どもたちの居場所を作りたいと言う思いからでした。

 

騒ぎたくないのに興奮すると騒いでしまう。

動きたくないのに興奮すると動いてしまう。

 

騒いではいけないから怒られる。

動いてはいけないから怒られる。

 

発達障害を持つ子には、そういう特性を持つ子どもたちがたくさんいます。

映画館では確実に疎まれる存在です。

 

でも、怒られて怒られて、自分はダメ人間だと

 

…ゴミ人間だと

 

そうやって思ってしまう子どもたちにも

 

…いや、そういう子どもたちにこそ。

 

この映画を、私は見て欲しい。

 

空が見えない、煙に覆われたえんとつ町で

煙の上の星を想い続けた人が夢を叶えるモノガタリ。

 

 

 

 

 


…さて、前置きが長くなりましたが(前置きだったんかーい!)

 

「迷惑」という言葉で排除されてしまいがちな存在は、そういう存在だけで集まれば互いは迷惑な存在ではありません。

むしろ「お互い様」として受け入れやすい存在になります。

「大変だね」と労り合える存在にもなりえます。

 

子連れ施設で「子どもがうるさい!」なんて思いませんから。

 

映画を見に行きたいけど、うちの子はじっとしてられないし…

下の子が赤ちゃんだから、映画館に連れて行くのは…

興奮したら大きな声を出してしまう…

不思議に思ったらその時すぐに声に出したくなってしまう…

 

そういう人だけ集められたら。

そういう環境を作ることが出来たら。

 

実際、あちらこちら騒がしくて、観に行った人がどれぐらい映画に集中できるかはわかりません。

 

でも確実に言えるのは、そういう人たちにとって

 

その場所は普通の映画館より「過ごしやすい」空間であろうということ。

 

子どもたちが普通の映画館より「迷惑ではない」存在になれるであろうということ。

 

「強制退場」しないといけない存在ではないということ。

 

 

 

映画の中でプペルの曲がかかったとき。

思わず歌ってもいい。踊ってもいい。

 

プペルダンス動画

 

歌詞も出ますので合わせて一度見て欲しいです。

私はいつも泣いてしまう。

 

 

私は、そういう空間を、この映画だからこそ1回でいいから作りたいと思いました。

 

 

 

 

 

やるとしたらクラファンはどうか?と今考えていることの走り書き漫画↓

 

 この上映は、迷惑な存在の『隔離』ではありません。

 『住み分け』です。

 

この上映にもし子どもたちが沢山来たならば…

通常上映に子どもが行く比率が下がります。

 

それは結果として、静かに観たい人にとってもメリットとなると思っています。

 

…でも、一人で動く勇気がありません。

子育てしながら動くには時間や自由も足りません。

 

今、コロナがなければ。

もう少し理解を得られたと思います。

そもそもママ上映みたいな、似たような方針のものは都会の方だといっぱいありますし。

 

でも、小学生ぐらいの子どもはあまり対象にされてなかった。

「それはちょっと今やるには無理でしょ」

大半の人はそう思うと思います。

 

でも、やってみないとわからない。

 

こちらえんとつ町のプペル映画本予告です。痺れます。

 

予告でルビッチが叫ぶセリフ。

 

「誰か見たのかよ。あの煙の向こう側を誰か見たのかよ。誰も見てないだろ? だったら、まだ分かんないじゃないか!」

 

 

 

まずは動いてみよう。そう思っています。

 

 

今までのイベントは、何だかんだで企画と実行までは私一人で大半突っ走って。

出来ないところや手が足りないところを土壇場で誰かに助けを求めながらどうにかやってきました。

沢山助けて頂きました。感謝しています。

 

でも今回の事を成し遂げようとするなら

 

企画の段階から1人で突っ走るだけでは出来ないだろうと思っています。

私は文章や企画、勢いだけはあるのですが、あちこちポンコツなのです。

 

 

『汚れを知らない君の目や

コトバや背中が

 

臆病な”ぼくら”に教えてくれた

立ち向かう強さを

 

Hello Hello Hello ハロウィン

プペプップープペル

 

勇気を寄せ集めた

 

Hello Hello Hello ハロウィン

プペプップープペル

 

長い煙の夜に

 

Hello Hello Hello ハロウィン

プペプップープペル

 

奇跡が近づいてる

 

Hello Hello Hello ハロウィン

プペプップープペル

 

めぐりめぐるモノガタリ』

 

 

『子どもや、今まで周りに迷惑をかけるからと映画を見に行けなかった人々が行きやすい映画上映』を作りませんか?

 

『いいねえ、”やるなら”応援するよ!』って言う人も沢山いてくれたらそれは嬉しい。

 

でも、一緒に責任やリスクを同じぐらいの重さで背負って

 

一緒に考えて、一緒に動いてくれる人はいませんか?

 

私と『勇気をよせ集めて』くれる人、いませんか?

 

いらしたら、コメントなど頂けると嬉しいです。

 

#西野亮廣エンタメ研究所 #えんとつ町のプペル映画