設立への想い

設立への想いは長文なので

ブログの記事として

残しておくことにしました。

 

Bocco.代表です。

ここを設立するにあたっての

想いを、残しておきます。

 

まず、私が日ごろから思っていること。

 

 

『普通』って何ですか?

私は

 

長い時間

じっとしていられる子どもが

「普通」なんて思えません。

 

人の話を集中して

聞ける子どもが

「普通」なんて思えません。

 

身の回りのものが気になっても

触らずにいられる子どもが

「普通」なんて思えません。

 

嫌な事があったとき

大声で泣かずに

耐えられる子どもが

「普通」なんて思えません。

 

 

子どもは好奇心の塊で

いつでもうるさくて

 

ちょっとやんちゃに動き回って

怒られながら成長していく。

 

そういうものだと思っています。

 

でも、今は

 

静かに45分、椅子に座って

言いたいことがあっても

勝手に発言せずに

先生のお話を静かに聞ける子が

「普通」の「いい子」で

 

それから外れてしまう

好奇心や冒険心に溢れる子どもや

自分の世界が強い子どもは

 

「発達障害」と言われます。

 

 

どこに行っても

「迷惑」で

「変」な存在として扱われ

 

 

集団に入れず、叱責を受け続け

自分は駄目な人間だと思い込み

 

 

学校では

「特別支援の対象」になります。

 

 

何が特別?

 

何が普通?

 

 

 

今の世の中は

みんなを同じ大人に

したいのでしょうか。

 

それなら、もう

ロボットでいいじゃないか。

 

「普通」の枠に

はまれない子どもが

「特別支援」の枠に入ったとき

 

時に、差別の対象に

なることがとても悲しい。

 

 

普通であることはそんなに

素晴らしい事でしょうか。

  

 

 

実は、私も

「成人発達障害」です。

 

大人になってから

色々調べて発覚しました。

 

ASD(自閉症スペクトラム)

 

私の場合、知的遅れは伴わなく

勉強や会話が普通にできるため

一見、障害がない人との違いは

ほぼ、わかりません。(多分)

 

ただ、小さなころから

空気が読めないとか

人の気持ちがわからない奴だと

いつも、色んな人に言われてきました。

 

なんでみんなは

何も言われなくても

『空気を読む』事が

出来るのだろうとか

 

他にも色々

周りが出来るのに自分が出来ない違和感を

ずっと感じ、悩んできましたが

ASDを知ったことで全てに納得いきました。

 

 

多少の不便はありますが

何だかんだ楽しくやってます。

 

 

差別は、障害のことを

よく知らないが故に

起こると思っています。

 

私は「発達障害」を

知ってもらうためにも

この活動を広げていきたい。

 

だからあえて、

自分の障害について

書きました。

 

 

 

「発達障害あるやつが

面白い事やってるぞ」

 

「一緒に遊んでみよう」

 

って

 

普通の枠に入れなくて

悲しい思いをした人も

 

普通の枠に入って

特別支援の枠の人を

異質な目で見ていた人も

 

一緒になって

みんなで楽しみたいって

 

思えるように。

 

 

今思えば、私の子ども時代は

"ちょっと変わった子"でした。

 

 

ひとり野山を走り回って

そこらにある木の棒を拾って

自分で物語を作って

その世界で遊んでみたり

 

外に出れば誰かがいるから

そのとき遊べる友達と

適当に遊ぶ

 

 

私が子どもの頃生きていたの

そんな世界で

 

  

その世界では私も

「普通」の輪の中で

生きてこられました。

 

 

「障害」ではなかったのです。

 

 

 

発達障害は

ただ生きるだけなら

「障害」ではない部分も

多いのですが

 

『平均値』『社会性』を

強く求められがちな

今の世の中では「障害」です。

 

 

今も野山で自分の思うように

自由に遊びまわることが

当たり前の時代だった

子どもたちは、今ほど困ることは

なかったかもしれません。

 

 

でも現代に、その当たり前は

もう、ありません。

 

 

 

保護者もいない場所で

子どもだけで遊ぶなんてダメ。

 

木の枝なんて汚いもの

拾っちゃダメ。

 

約束もしないであそんじゃダメ。

 

怪我をするから外で走っちゃダメ。

 

外で遊ぶのは危ないからダメ。

 

よそのおうちに行くのは

迷惑かけるからダメ。

 

うちに友達を呼ぶのも

責任とか面倒だからダメ。

 

 

 

タブレットで動画を見るか

ゲームを沢山買ってあげるから

 

おうちでオンラインの相手と

静かに遊びなさい。

 

 

 

『子どもが生きる枠』が

がっちりと

作られてしまった現代で

 

上手に枠にはまれない子どもは

ただ差別の目で見られるだけ。

 

 

 

子どもがたくさん集まって

みんなが各々

自分のゲームを持って

 

全くしゃべらずに過ごしている

空間に行ったことがあります。

 

子どもが5人ぐらいいるのに

会話ひとつなく静かなのは

 

世間からしたら

「大人しくて素晴らしい」

事だったのかもしれません。

 

でも、私はただ、

『子どもらしくない』と

感じました。

 

 

でも、騒がしくすれば

嫌な目で見られることも多く

 

どうしても現代は

「大人しさ」を子どもに

求めてしまう機会が増えます。

 

 

だからせめて

 

「ここでなら子どもらしく遊んでいい」

「多少騒いでもいい」

「走ってもいい」

 

「お母さんも気にせず

子どもと遊んでください」

「なんなら放っておいても大丈夫」

「誰も迷惑と思わないですから」 

 

そう、堂々と

言ってあげられる場所が

 

子どもと

その子どもを育てる親に

 

今の時代

必要なのではないかと思いました。

 

 

子どもの頃、外に出て遊べば

ただ純粋に楽しかったあの頃

 

ぼっこ1本で

ゲーム機に詰まった情報なんかより

ずっと楽しい遊びを

思いついたあの頃

 

 

大人も、子どもと一緒になって

そんな無邪気な時間を

思い出しながら

 

人として大切なものを

学べる場を作れたらと思っています。

 

 

私自身、発達障害の特性ゆえに

他者との関わりは

あまり上手ではありません。

 

 

群れるのは嫌いですが

人と過ごす時間は好きです。

 

話をするのは下手ですが

文章を書くのは得意です。

(いつも長くなりますスイマセン)

 

空気を読むのは苦手ですが

仲間は欲しいです。

 

 

 

不器用ですが

 

こんな私と一緒に

楽しい時間を作ってくれる仲間を

 

いつでも募集しています。

 

 

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